MTGと西洋絵画の世界 vol.1 フランシスコ・デ・ゴヤ(赤黒)
2016年12月1日 趣味
《画像》
上:『マドリード、1808年5月3日』(1814年、プラド美術館所蔵)
下:『我が子を食らうサトゥルヌス」(1823年、プラド美術館所蔵)
MTG。それは、世界最古にして世界最高峰の戦略トレーディング・カードゲーム。
お馴染みの言葉から始まる今回のMTG通信は、いつもとはひと味違う。
僕がMTGに参入する切っ掛けとなったのは、友人に譲ってもらった沢山のカードなのだが、では、何処に惹かれたのか?という疑問に対して、僕は「西洋絵画の世界に通じるイラストと、フレーバーテキスト」であることを挙げる。
僕は元々、西洋絵画が好きだった。
中学の美術の時間には、説明されている絵画技法のつまらない名前なんかより、所々に載っている絵画ばかり見ていたほどだ。
特にロマン主義派の絵は、心から痺れそうな感覚に襲われることさえある。
さて、先日お話ししたかもしれないが、ひょんな事から友人と「西洋絵画とMTG」について語る切っ掛けを得た。
友人というのが大学時代の友人なので、当然、西洋絵画にも詳しい。むしろ、語るにしろ修復をするにしろ、彼はとにかく西洋絵画のプロだ。その彼もまた、マジックのプレインズウォーカーでもある。
その友人の家で、友人のデッキ調整を手伝いながら、ふと手に取った絵画集を見ていた僕は「こういう絵柄の“島”が欲しい」だの、「この絵、“思考囲い”っぽい」だの、そんな事を呟いた。もちろん、とてもくだらない事だ。
すると友人が乗っかってきて、やれ「ユベール・ロベールの絵のほとんどは、森と平地みたいなものばかりだから、ユベールがMTGをやっていたら緑白プレーヤーだろう」だの、「いや、古代の自然風景に奇妙なオブジェクトがあるのがユベール絵画の特徴だから、アーティファクトを重視してるのかも。こいつ、絶対にハンガーバックで何かしでかす」だの、「じゃあ緑白の鱗デッキ。ベイロスの仔と新ニッサが欲しいね」などという会話になった。
それから、色々な画家のマジックカラーを勝手に言い付けて、あれこれ話したのだが、案外、的を得ていて面白い会話だった。
その会話の中で出てきた画家の一人に、僕の持ち色「赤黒」にピッタリな画家がいる。
フランシスコ・デ・ゴヤだ。
友人いわく、ゴヤは卑屈な画家らしい。
「黒い絵」というのをご存知だろうか?
ゴヤが晩年過ごした家の壁に描かれた、いくつかの絵だ。
最も有名なものに、「我が子を食らうサトゥルヌス」(1823年 プラド美術館所蔵)がある。
画像の二番目だ。この恐ろしい絵画は、一度は何処かで目にしたことがあるのではなかろうか。
サトゥルヌスというのは、ローマ神話に出てくる農耕神だが、将来、我が子に殺されるかもしれないという申告を受け、恐れるあまりに五人の子供を次々と呑み込んでしまったのだそうだ。
事実、この絵の前にもルーベンスが同じタイトルで作品を描いているが、そちらはゴヤほど過激な絵ではない。
ゴヤの場合は頭からかじりついていて、子供には既に頭部が無く、また血もベットリ付いている。
リアリティが大きいのだ。
また、既に修正されてしまっていて、今では見ることができないが、オリジナルの絵にはサトゥルヌスの陰茎が勃起している描写があった。
これは、X線で絵画の表面を分析すると塗料の下の「元の絵」がわかる、近年の科学技術によって判明している。
また、画像1番目の「マドリード、1808年」という作品についても、ゴヤの感情が表に出ている。
ゴヤはスペインに生まれ、後に亡命先のフランスのボルドーにて没している。
また、彼は40代の時に聴力を失っている。音楽家ほどではないが、そのショックはいかほどだっただろうか。
1808年という年について少しだけ語ると、その時のスペインは独立戦争のただ中だった。
1807年に、ナポレオン率いるナポレオン軍がスペインに侵攻した。支配下に置かれたスペインでは、祖国を解放する為の独立戦争が勃発し、その戦いは1814年まで続くことになった。
絵は、その戦争のただ中のマドリードの光景を表している。
ゴヤはこの時、既に60歳を超えていた。
しかし、祖国を蹂躙され、解放宣言をしたが為に群衆が軍に脅かされる怒りと無念がこの絵を描かせた。
実際、この作品は1814年の発表である。
独立戦争の終わった年だ。独立は叶えど、払われた犠牲は大きかった。
話を戻そう。
僕と友人が何故ゴヤを「赤黒」と評した呑み込んでといえば、もちろん「我が子を食らうサトゥルヌス」の影響が大きい。
ゴヤの他の有名な作品には、「裸のマハ」「着衣のマハ」などもあるのに、あの恐ろしい絵がどうしても先行してしまう。
元々ゴヤはイタリアでフラスコ画を学び、聖堂の天井に絵を描く仕事もしていたのだから、神に信心深い白単だとか白単タッチ青、というのもあり得ない話ではない。
しかし、「我が子を食らうサトゥルヌス」の一枚で、僕らはあっさりと、好戦的で野蛮な赤黒と評してしまった。
赤黒といっても、攻め込む赤黒アグロではない。
「闇の掌握」「破滅の道」「焙り焼き」、「蔑み」「強迫」「精神背信」などを駆使して、ハンデスをしつつ相手のクリーチャーを皆殺しにしてやらんとする、ボードコントロールタイプだ。
友人としては、どっちかといえば悪魔に魂を売り渡した黒単デーモン信心にタッチ赤をした、中速ビートダウンなのだそうだが、もしゴヤがマジックプレーヤーなら、どちらを選んだのだろう。
激動を生き抜いたゴヤの人生において、何処かしらに怨念と呪いは渦巻いている。
長くなってしまったが、このようにマジックと西洋絵画の世界は、時に奇妙なシンクロを魅せてくれる。
ついでに、他の有名な画家についても語ってみた。
以下の通りである。
クロード・モネ……緑青系の何か
ヨハネス・フェルメール……青白コントロール
ポール・セザンヌ……緑単信心
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ……赤緑ミッドレンジ
パブロ・ピカソ……超多色
ユベール・ロベール……緑白信心
これは完全にイメージのみなので、ゴヤほど確たる理由があるわけではない。
が、ユベール・ロベールについては先述した通りで、ピカソに関しては、ピカソのキュビズムは、よくわからない=超多色、ということになっている。
色彩の魔術師ゴッホは、まず赤緑で間違いない、しかし理由はわからない、といった具合である。
非常に面白い企画というか、くだらない会話から生まれたにしては良い企画だったと思う。
MTGに関するコラムとは思えないほどだが、また機会があればやってみたいものだ。
上:『マドリード、1808年5月3日』(1814年、プラド美術館所蔵)
下:『我が子を食らうサトゥルヌス」(1823年、プラド美術館所蔵)
MTG。それは、世界最古にして世界最高峰の戦略トレーディング・カードゲーム。
お馴染みの言葉から始まる今回のMTG通信は、いつもとはひと味違う。
僕がMTGに参入する切っ掛けとなったのは、友人に譲ってもらった沢山のカードなのだが、では、何処に惹かれたのか?という疑問に対して、僕は「西洋絵画の世界に通じるイラストと、フレーバーテキスト」であることを挙げる。
僕は元々、西洋絵画が好きだった。
中学の美術の時間には、説明されている絵画技法のつまらない名前なんかより、所々に載っている絵画ばかり見ていたほどだ。
特にロマン主義派の絵は、心から痺れそうな感覚に襲われることさえある。
さて、先日お話ししたかもしれないが、ひょんな事から友人と「西洋絵画とMTG」について語る切っ掛けを得た。
友人というのが大学時代の友人なので、当然、西洋絵画にも詳しい。むしろ、語るにしろ修復をするにしろ、彼はとにかく西洋絵画のプロだ。その彼もまた、マジックのプレインズウォーカーでもある。
その友人の家で、友人のデッキ調整を手伝いながら、ふと手に取った絵画集を見ていた僕は「こういう絵柄の“島”が欲しい」だの、「この絵、“思考囲い”っぽい」だの、そんな事を呟いた。もちろん、とてもくだらない事だ。
すると友人が乗っかってきて、やれ「ユベール・ロベールの絵のほとんどは、森と平地みたいなものばかりだから、ユベールがMTGをやっていたら緑白プレーヤーだろう」だの、「いや、古代の自然風景に奇妙なオブジェクトがあるのがユベール絵画の特徴だから、アーティファクトを重視してるのかも。こいつ、絶対にハンガーバックで何かしでかす」だの、「じゃあ緑白の鱗デッキ。ベイロスの仔と新ニッサが欲しいね」などという会話になった。
それから、色々な画家のマジックカラーを勝手に言い付けて、あれこれ話したのだが、案外、的を得ていて面白い会話だった。
その会話の中で出てきた画家の一人に、僕の持ち色「赤黒」にピッタリな画家がいる。
フランシスコ・デ・ゴヤだ。
友人いわく、ゴヤは卑屈な画家らしい。
「黒い絵」というのをご存知だろうか?
ゴヤが晩年過ごした家の壁に描かれた、いくつかの絵だ。
最も有名なものに、「我が子を食らうサトゥルヌス」(1823年 プラド美術館所蔵)がある。
画像の二番目だ。この恐ろしい絵画は、一度は何処かで目にしたことがあるのではなかろうか。
サトゥルヌスというのは、ローマ神話に出てくる農耕神だが、将来、我が子に殺されるかもしれないという申告を受け、恐れるあまりに五人の子供を次々と呑み込んでしまったのだそうだ。
事実、この絵の前にもルーベンスが同じタイトルで作品を描いているが、そちらはゴヤほど過激な絵ではない。
ゴヤの場合は頭からかじりついていて、子供には既に頭部が無く、また血もベットリ付いている。
リアリティが大きいのだ。
また、既に修正されてしまっていて、今では見ることができないが、オリジナルの絵にはサトゥルヌスの陰茎が勃起している描写があった。
これは、X線で絵画の表面を分析すると塗料の下の「元の絵」がわかる、近年の科学技術によって判明している。
また、画像1番目の「マドリード、1808年」という作品についても、ゴヤの感情が表に出ている。
ゴヤはスペインに生まれ、後に亡命先のフランスのボルドーにて没している。
また、彼は40代の時に聴力を失っている。音楽家ほどではないが、そのショックはいかほどだっただろうか。
1808年という年について少しだけ語ると、その時のスペインは独立戦争のただ中だった。
1807年に、ナポレオン率いるナポレオン軍がスペインに侵攻した。支配下に置かれたスペインでは、祖国を解放する為の独立戦争が勃発し、その戦いは1814年まで続くことになった。
絵は、その戦争のただ中のマドリードの光景を表している。
ゴヤはこの時、既に60歳を超えていた。
しかし、祖国を蹂躙され、解放宣言をしたが為に群衆が軍に脅かされる怒りと無念がこの絵を描かせた。
実際、この作品は1814年の発表である。
独立戦争の終わった年だ。独立は叶えど、払われた犠牲は大きかった。
話を戻そう。
僕と友人が何故ゴヤを「赤黒」と評した呑み込んでといえば、もちろん「我が子を食らうサトゥルヌス」の影響が大きい。
ゴヤの他の有名な作品には、「裸のマハ」「着衣のマハ」などもあるのに、あの恐ろしい絵がどうしても先行してしまう。
元々ゴヤはイタリアでフラスコ画を学び、聖堂の天井に絵を描く仕事もしていたのだから、神に信心深い白単だとか白単タッチ青、というのもあり得ない話ではない。
しかし、「我が子を食らうサトゥルヌス」の一枚で、僕らはあっさりと、好戦的で野蛮な赤黒と評してしまった。
赤黒といっても、攻め込む赤黒アグロではない。
「闇の掌握」「破滅の道」「焙り焼き」、「蔑み」「強迫」「精神背信」などを駆使して、ハンデスをしつつ相手のクリーチャーを皆殺しにしてやらんとする、ボードコントロールタイプだ。
友人としては、どっちかといえば悪魔に魂を売り渡した黒単デーモン信心にタッチ赤をした、中速ビートダウンなのだそうだが、もしゴヤがマジックプレーヤーなら、どちらを選んだのだろう。
激動を生き抜いたゴヤの人生において、何処かしらに怨念と呪いは渦巻いている。
長くなってしまったが、このようにマジックと西洋絵画の世界は、時に奇妙なシンクロを魅せてくれる。
ついでに、他の有名な画家についても語ってみた。
以下の通りである。
クロード・モネ……緑青系の何か
ヨハネス・フェルメール……青白コントロール
ポール・セザンヌ……緑単信心
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ……赤緑ミッドレンジ
パブロ・ピカソ……超多色
ユベール・ロベール……緑白信心
これは完全にイメージのみなので、ゴヤほど確たる理由があるわけではない。
が、ユベール・ロベールについては先述した通りで、ピカソに関しては、ピカソのキュビズムは、よくわからない=超多色、ということになっている。
色彩の魔術師ゴッホは、まず赤緑で間違いない、しかし理由はわからない、といった具合である。
非常に面白い企画というか、くだらない会話から生まれたにしては良い企画だったと思う。
MTGに関するコラムとは思えないほどだが、また機会があればやってみたいものだ。